種子島焼きができるまで

種子島焼きができるまで



■ 種子島には江戸初期から明治35年まで住吉能野というところで能野焼きという焼き物が焼かれていました。鉄分の多い土を使用し、とも土に木灰を加えた釉薬がうっすらかかった素朴な焼きものでした。

 この能野焼きを復興させようという熱い想いがわきあがり、陶磁学者であり、陶芸家でもある小山冨士夫先生の御指導のもと、中里は種子島へ移ります。

 昭和45年10月、中里から小山先生へ宛てた種子島行きの決意を伝えた手紙には「唐津とは違った別の新しい焼き物を試したい」という当時の気持ちが書かれています。能野焼きの復興の為の島入りでしたが種子島では中里は古陶の写しを避け、焼き〆の食器作りに専念しました。

 小山先生も何度も種子島で作陶されました。ある日、小山先生が窯焚きに間に合うよう種子島へ来られる予定が生憎、台風のせいで鹿児島で足止めとなってしまったことがありました。しかし焼成はどんどん進み窯焚きは先生が到着される前に終わりそうだったのです。

 中里は小山先生に是非この窯焚きにたちあって頂きたく、とっさに水の入ったビニール袋を焚き口からたくさん放りこみました。

この時、還元作用が働いて不思議な窯変が生じ、美しい陶器ができました。

 この経験を生かし、中里は小山先生の岐阜の花の木にも窯床のパイプから水が噴き出す仕組みの窯を作りました。

 中里が作る種子島での焼き〆陶器は、小山先生により種子島焼きと呼ばれるようになります

「種子島焼きは、備前よりやわらかく、そして千変万化一つとして同じものがないといっていいほど変化に富んでいる」と小山先生は表現されています。

 唐津へ帰ってからも中里はこの焼き〆を作り続けますが、これは唐津南蛮と呼ばれるようになりました。



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